診療・治療
当院で行っている胚培養士外来の実際
岸 加奈子、英ウィメンズクリニック
【はじめに】
胚培養士が備えるべき資質および役割は、①不妊カップルの心情を理解する能力を持っていること、②生殖生物学上の基礎的な知見について理解していること、③配偶子、胚を正しく取り扱うことができること、
④胚培養に関する基本的な原理ならびに手順を習熟していること、⑤胚培養の成績を常に監視するとともに、統計を取り、評価することができること、⑥生殖医療を取り巻く社会医学的環境を理解し、生命倫理に関して自覚をもっていることなどが挙げられる。実際の生殖医療の現場において、このような資質と役割を担う胚培養士が積極的に患者に情報を提供することは非常に有意義であると考えられるが、現在のところ生殖医療に携わるコメディカルの中においても、胚培養士が直接患者に接する機会は比較的少ないのが現状であると思われる。当院では、胚培養士が直接患者に情報提供できる場を設ける目的で、2011年6月に胚培養士外来を開設した。開設当初は、患者と接することに不慣れなこともあり、また患者がどのような情報をどの程度必要としているのかわからず戸惑うことも多かった。しかし、4年間にわたって胚培養士外来を通じて多くの患者と向き合うなかで、当院の胚培養士は多くの事を学びつつ、日々前進してきた。
本講演では、この当院の胚培養士外来の現状を紹介する。
【胚培養士外来開設の三つの目的】
当院が胚培養士外来を開設した目的は次の3つである。第1の目的は、患者の配偶子・胚を取り扱う胚培養士がこれらの情報を直接患者に提示すること。医師や看護師、あるいはカウンセラーとはまた違った視点・立場から説明することでより生殖医療への患者理解が深まるものと考えている。第2の目的は、配偶子・胚を預けてくださる患者に接する事で患者との信頼関係をより強固にすること。第3の目的は、日々忙しく、かつ高度の緊張を強いられる胚培養室で勤務するなかで、ややもすると忘れかねない配偶子・胚に込めた患者の思いを、胚培養士外来で患者の思いを受け止めることで、再認識し、胚培養士が受け持つ職務の責任の重さを自覚するとともに、胚培養のプロとしてのモチベーションを高めること。開設時の掲げたこれら3つの目的は4年間の胚培養士外来の実践を通じて十分に達成されつつあると感じている。
【当院の胚培養士外来の運用方法】
上述の通り、2011年6月から胚培養士外来を開始した。当院で胚培養士外来を担当する胚培養士の要件は、①胚培養士しての知識、技術に十分に習熟していること、②治療に対する患者の思いを受け止める資質、能力が備わっていること、③生殖医療を取り巻く社会医学的環境を理解し、生命倫理に関して高い自覚をもっていること、である。当院では、胚培養士には4年間の教育プログラムを設けており、入職後はこのプログラムに沿ったトレーニングによって①から③の要件を身につけることになる。従って、現在当院で胚培養士外来を担当している胚培養士は実務経験を4年以上有する16名の胚培養士である。この16名の胚培養士のうち、5名は体外受精コーディネーターの資格を有している。外来は、土、日、祝日も含めて毎日行っており、原則一日一組の予約枠で実施している。費用は、1回500円(税別)である。
外来での相談、説明内容として多いものは、①精液検査の方法と結果の解釈について、②体外受精、顕微授精の実際の方法、③受精方法の選択、体外受精か顕微授精か、あるいはスプリットか。④卵子、胚のグレード分類の方法と、実際に得られた卵子、胚のグレード、そこから予想される妊娠予後など、⑤精子、胚の凍結方法とその成績⑥着床前遺伝診断(PGD)の実際と原理について、などである。排卵誘発方法や普段の生活上の注意などの質問を受けることも頻繁にあるため、普段から医師の外来を見学するなど、幅広い知識の習得に努めている。
【当院の胚培養士外来の実際】
2011年10月から2015年3月にかけて実施した胚培養士外来は601件、受診した患者は894人である。
受診患者の内訳は、妻のみ346人、夫のみ2人、夫婦273組であった。妻の平均年齢は38.3歳、平均採卵回数2.7回、培養士外来平均受診回数は1.4回であった。1件あたりの平均外来時間は40.6分であった。20から30分の比較的短時間で終わるケースもあるが、患者が十分に納得できるまでに2時間近くかかったケースもある。
次に、患者からの具体的な質問内容についてまとめた。患者からの質問内容としては、受精卵の個数や
グレード、その妊娠の可能性に関する質問が全体の30.0%と多かった。当然予測されることであるが、患者は妊娠、出産に直結する受精卵の状態に非常に強い思いを抱いている事が改めて示された。次に多かった質問は、今後の治療に関する内容であり、全体の18.3%を占めた。これは、初回、あるいは2回目以降の治療によっても期待通りの結果を得る事ができなかった患者が、わらをもすがる思いで、あるいは次の治療へのヒントを求めて胚培養士外来を受診する傾向があるためであろう。
次に外来における患者と胚培養士のやり取りの具体例をいくつか紹介する。
A.患者:凍結保存胚のグレード及び妊娠率についての質問。凍結しても、融解時に大丈夫なのか、あるいは凍結することに対する胎児への影響など大変心配されている様子であった。
A.培養士の説明内容:胚のグレードと妊娠率の関係について参考資料とともに説明を実施した。当院では、凍結時の胚のグレードから予測される妊娠率の一覧表を作成しており、この表をお見せすることで非常に説得力のある説明がしやすくなっている。また、毎年、新鮮胚あるいは凍結胚の移植によって出産した児の予後調査を実施しており、その結果をお見せすることで、凍結操作によって児の先天異常が増える事がないということを説明した。
B.患者:体外受精と顕微授精では胚発生に差はあるのか?どうして自分達の治療は顕微授精ではなく体外受精を勧められたのか?顕微授精の方が、妊娠率が良いと聞いた事があるがどうか?
B.培養士の説明内容:顕微授精は日本産婦人科学会の見解でも、顕微授精でなければ受精できないと予想される場合にのみ実施することになっていること、当院では、精液所見を詳しく分析することで、体外受精で十分な受精率を得る事ができるかどうか検討がつくこと、顕微授精をしても必ずしも受精率が向上するものではないこと、また、当院のデータでは胚盤胞発生率・妊娠率は体外受精の方が有意差は無いものの少し高い傾向があること、妊娠率は顕微授精よりも体外受精の方が高くなる傾向があることなどを説明し、今回顕微授精ではなく、体外受精を勧めたことに納得してもらった。
【小活】
胚培養士外来は、前述のごとく一日一件の予約としており、患者が納得いくまで十分に時間をとる事のできる体制にしている。実際の外来の平均時間は40分であった。当院で行っている心理カウンセリングや看護師カウンセリングでは、もっと長い時間を要する傾向があり、これらと比較すると比較的短時間で患者の納得を得ているように思われる。その理由は、胚培養士外来では患者の疑問、不安に対して、当院が蓄積し解析した多くのデータに基づいて説得力のある説明ができるためでは無いかと考えている。しかし、時には卵巣刺激法に関する質問や、反復不成功に対する治療方針などの質問もあり、回答に苦慮するケースも少なくない。また、治療に伴うつらい心情を吐露されるケースもある。今後も、更に医師、看護師、カウンセラーとの連携を図りながら個々の症例に対応しつつ、胚培養士同士での症例の検討会あるいは勉強会を通じて
知識、スキルの向上に努めたい。
【胚培養士外来を受診した患者へのアンケート調査】
2012年4月から2013年3月の間に当院胚培養士外来を受診した患者147人を対象としてアンケート調整を実施した。下記の①から③の質問に対し、それぞれA~Eの回答を設けて選択記入してもらう方式をとった。以下アンケートの設問内容である。
①培養士外来の感想について
(A:とても良かった、B:まぁまぁ良かった、C:どちらでもない、D:あまり良くなかった、E:がっかりした)
②培養士の説明について
(A:とてもよく分かった、B:まぁまぁ分かった、C:どちらでもない、D:あまり分からなかった、E:全く分からなかった)
③培養士の対応について
(A:非常に丁寧だった、B:まぁまぁ丁寧だった、C:どちらでもない、D:あまり丁寧ではなかった、E:全く丁寧ではなかった)
<アンケート回答の解析結果>
アンケートの回収率は87.8%(129/147)だった。①培養士外来の感想については、A:とても良かった79.1%(102/129)、B:まぁまぁ良かった20.1%(26/129)、C:どちらでもない0.8%(1/129)であった。
D、Eはなかった。②胚培養士の説明については、A:とてもよく分かった79.8%(103/129)、
Bまぁまぁ良く分かった19.4%(25/129)、C:どちらでもない0.8%(1/129)であった。D,Eはなかった。③胚培養士の対応については、A:非常に丁寧だった93.8%(121/129)、B:まぁまぁ丁寧だった6.2%(8/129)であった。C,D,Eはなかった。
今回のアンケートの結果は、いずれの質問に対しても高評価であった。しかし、培養士外来の感想について「良いとも悪いともどちらでもない」という回答や、培養士の説明について「よくわかったともわからなかったとも、どちらでもない」という回答が少数ながらもあったことから、まだまだ改善の余地があることが示された。また、現在は1回500円という採算を度外視した費用で実施しており、もし、当院の他のカウンセリングと同様の費用設定をしたときにも、今回のアンケート結果と同様に高評価をしていただけるよう努力する必要を感じている。そのためには、患者は胚培養士外来に何を期待しているのか、現在の胚培養士外来に不足している点は無いのか、など詳細に分析する必要がある。
【最後に】
胚培養士外来では、高度の知識と技術を備えた胚培養士が、医師や看護師、あるいはカウンセラーとはまた違った視点・立場から治療内容を説明することで患者満足度の向上に寄与できていると考えている。同時に、胚培養士外来を通じて胚培養士は患者と向き合いそして患者の思いを受け止める事で、胚培養のプロとしてのモチベーションを高めることにつながっている。
胚培養士外来は、患者が納得いくまで十分に時間をとる事のできる体制にしているが、いたずらに時間をかけても患者の理解は得られないであろう。自院が蓄積した治療データを解析し、わかりやすく患者に提示することが重要である。また、反復不成功例など成果を得られず悩んでいる患者には、胚培養士だけで対応するのではなく、医師、看護師、カウンセラーとの連携を図ることが重要である。
今後はさらに胚培養士としての技術習得および知識の向上に努め、より満足度の高い胚培養士外来を
行って行きたいと考えている。