英ウィメンズクリニック

HANABUSA WOMEN'S CLINIC

理事長コラム

はなぶさコラムス

当院理事長 塩谷雅英が毎日の診療の中、見えてきたこと、皆様に是非お伝えしたいことなどをつづったコラムです。

治療のステップダウンとは?(2009年12月)

 不妊治療では、「治療のステップアップ」という言い方が良くなされます。この「治療のステップアップ」とは、タイミング治療や人工授精治療から、体外受精治療へと治療内容を変更することを指しています。不妊治療では、なるべく簡単な治療での妊娠を目指し、それでなかなか良い結果を得ることができない時に次のステップへと治療内容を濃くしていく方法がとられます。このように治療はステップアップしていくことが一般的です。

 しかし、治療のステップダウンが時として効を奏することがあることはご存知でしょうか。つぎに実際に、ステップダウンが有効であったMさんご夫婦の例を提示いたします。

 Mさんご夫婦は、結婚後2年経っても妊娠の兆候がなく、当院を受診してくださいました。奥様には特別な異常がなく、御主人に軽度の乏精子症を認めました。この点が不妊の原因と判断し、人工授精治療を5周期、5カ月実施しましたが妊娠にいたりませんでした。そこで、「治療のステップアップ」をお勧めし、顕微授精治療を3周期受けていただきました。3回とも卵子は充分採卵できました。しかし、顕微授精をしましたところ受精率は低く、しかも受精卵は不良なものばかりで移植できるような受精卵は発育しませんでした。原因は、卵子が極端に弱いことにあると考えられました。これ以上、顕微授精を続けても妊娠どころか、受精卵の移植さえ出来ないような様子です。この時は本当に困りました。なぜ、Mさんご夫婦の受精卵はグレード不良になってしまうのだろうか。理由は二つ考えられました。一つ目は、Mさんの奥様の卵子そのものがもともと状態が悪いということ。二つ目は、Mさんの奥様の卵子そのものは決してもともと悪いわけではないけれど、採卵、顕微授精という体外での操作によるストレスに耐えることができない、とても繊細で脆い卵子であるということ。もし、前者であればどうしようもありません。しかし、もし、後者ならまだチャンスはあるはずです。そこで後者である可能性にかけてみることにしました。

 Mさんの奥様の卵子がとても繊細で脆い卵子であるとすればどうすれば良いだろうか。卵子は精子と卵管内で受精し、卵管の中で育まれ、やがて子宮の中に運ばれて子宮に着床します。Mさんの卵子は、体外に取り出し、顕微授精、そして培養液内での培養するというストレスに耐えることが出来ない卵子なのかも知れない、そうであれば、卵管の中で受精がおこる人工授精であれば可能性があるかもしれない、と考えました。このようなことをMさんご夫婦にも説明し、顕微授精治療から、人工授精治療にステップダウンすることをお勧めしました。Mさんご夫婦は最初はとまどっておられましたが、じっくりと説明をする内に真意を理解してくださり、ステップダウンに同意してくださいました。そこで、翌月から人工授精を再開しました。人工授精は、1回目から4回目はむなしく不成功に終わりましたが、なんと5回目(Mさんご夫婦にとっては、通算10回目)の人工授精で妊娠反応陽性となり、その後、胎児の発育も順調に確認でき、産院へと転院となり、ご無事に出産されました。Mさんご夫婦も大変喜んでくださいました。そして私達医療者にとっても大きな教訓を残して下さいました。

 やはり、卵管という神様が私たちに与えて下さった臓器は凄いものです。われわれ医療従事者、研究者が一生懸命、培養液を改良し、培養庫も改良し、あたかも卵管の中で発育するかの条件を体外で再現しているつもりでも、そして多くの患者様の受精卵を胚盤胞まで培養できるようになっても、卵管にはかないません。まだまだ、培養液や培養庫、培養条件には改善の余地があることを改めて学びました。そして、ステップダウンも時には有効であることを教えて下さいました。さらに、受精卵のグレードが不良である場合、「あなたの卵子が不良であるから受精卵のグレードが不良になる」のではなく「あなたの卵子、受精卵を、体外で適切にそだてる技術が未熟であるために、受精卵のグレードが不良になるのかもしれない」と考えるようになりました。

 Mさんご夫婦の場合、卵管には大きな異常がなく、精子も自然妊娠を期待出来る程度に良好であったため、ステップダウンをお勧めすることができました。卵管が閉塞している場合や、精子の状態が極端に弱い場合には、人工授精へのステップダウンをお勧め出来ないこともあります。今後の課題は、体外での受精卵の培養環境を如何に卵管の中に近づけるか、ということになります。この課題を克服することはまだまだ難しい状況ですが、克服できた暁には、体外受精、顕微授精の治療成績は格段にアップすることでしょう。

院長 塩谷雅英

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